電荷分布の偏りを最も簡単に表すベクトル量として双極子モーメントがあります。分子の双極子モーメントは実測可能な物理量であり、量子化学計算でも比較的簡単に出力できます。今回は、GAMESSを用いて双極子モーメントを計算してみましょう。
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双極子モーメントとは?

双極子モーメント(dipole moment)は電荷分布の偏りを定量的に示すために用いられます。双極子モーメントは電荷密度解析の結果から計算されます。例えば、ある分子内の電荷±qが、距離r(位置ベクトル)離れて存在するものを双極子と呼び、結合の極性(電荷の偏り)を定量的に示す量として、一般的に双極子モーメントμはμ = q rで定義されます。
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電荷を持つ複数の粒子が互いに結合している場合は、系を構成する全てについての和をとります。量子化学計算では、この考えを基に各理論(Hartree-Fock法など)で量子力学的双極子モーメントを求めます。GAMESSでは特に指定しない限り、構造最適化計算などを行えばデフォルトで双極子モーメントを出力します。
 

双極子モーメントで何がわかるの?

一般的に分子の物理的な性質は、その双極子モーメントに大きく影響を受けます。例えば、沸点、密度、屈折率などは、双極子モーメントが大きいほど大きい値をとる傾向にあります。
双極子モーメントが大きいということは、分子同士の分子間引力(双極子間相互作など)が大きくなり、これらを引き離すのにより大きなエネルギーが必要となり、結果として沸点が高くなります。同様の理由で、互いに分子間引力で密にある状態では、当然密度が大きくなります。また、それらを通過する光との相互作用は大きくなり、結果的に光の速度が減少し屈折率が大きくなります。

結果はどこに出力されるの?

Outputファイルをテキストエディッタで開き、「ELECTROSTATIC MOMENTS」でキーワード検索すると見つかります。Firefly(PC GAMESS), GAMESS(US)共に出力される場所は同じです。
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ちなみに、単位はデバイ (debye)で表示されます。もっと簡単に確認したい場合は、MaSKでOutputファイルを開き、ツールバーのResults >Extended Summaryから表示させることもできます。また、矢印マークをクリックすると分子モデル上にグラフィカルに表示することができます。
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計算のオプションはあるの?

Firefly(PC GAMESS), GAMESS(US)共にこれらのオプションは共通しています。双極子モーメントを求めたい場合は、特に入力ファイルにキーワードを追加する必要はありません
多極子モーメントの指定は$ELMOMグループを作り、IMEOM=0で計算しない、=1で単極子及び双極子モーメントを計算する(デフォルト)、=2で四極子モーメント、=3で八極子モーメントを指定します。
ちなみに、高次の多極子モーメント(四極子など)は、通常双極子モーメントが0の時重要であり、電荷分布の形状について大まかな特徴を掴むのに有用です。
また、すべてのモーメントは、入力座標系の原点を用いて計算されます。通常はこれで問題ないのですが、別の場所を使用したい場合は、目的の構造に対して一点計算($CONTRLでRUNTYP=ENERGYを指定)を実行し、$ELMOMグループを作りWHEREキーワードを使用して目的の中心を定義する必要がありますWHERE=COMASS, NUCLEI, POINTSなど)。$ELMOMグループについて更に知りたい方は、GAMESS(US)のマニュアルを参照してみてください。

計算で注意することは?

双極子モーメントは電荷を基に計算するので、電荷密度解析で述べたように基底関数に大きく依存します
また、双極子モーメントは厳密には中性分子に対して決定されるものであり、荷電された系は座標原点と分子配向によって値が変わってくるので適応できません。通常、荷電された系では有限場法のオプションを使用します($CONTRLグループでRUNTYPE=FFIELDを指定)。詳しくは今後説明します。
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最後に、双極子モーメントは通常Hartree-Fock法の電子波動関数を使用した計算結果が出力されることに注意が必要です。例えば、Hartree-Fock以外の理論で計算して、その理論を用いた双極子モーメントを求めたい場合は、別途キーワードで指定する必要があります(e.g. MP2で計算したい場合は、$MP2 MP2PRP=.TRUE.を追加)。

具体的な計算はどうするの?

それでは、試しに2-Buteneの幾何異性体(シス体, トランス体)をHF/6-31Gdで構造最適化計算して、双極子モーメントを求めてみましょう。ここでは、Firefly(PC GAMESS)を用いて計算します。
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計算の結果、トランス体(E体)では対称の中心をもつ化合物であり、当然双極子モーメントは0になります。一方、シス体では大きな双極子モーメントを持つことがわかります(上図)。幾何異性体では一般にシス体が双極子モーメントが大きいいため、沸点、屈折率、密度は大きな値をとる傾向にあります。また、溶解性は極性溶媒に対する溶解性が、双極子モーメントの大きいシス体の方が高い傾向にあります。ただし、トランス体も置換基の極性の向きが逆の場合などは、双極子モーメントが大きくなるので注意が必要です。
実際に、2-Buteneのシス体の沸点は3.7℃、トランス体は0.8℃とやはりシス体の方が、沸点が高いことがわかります。
化合物の物性を詳細に議論するためには、もちろん他のファクターも必要ですが(溶解性では誘電率など)、双極子モーメントがこれら物性を予測する大まかな指標にはなることがわかります。
今回は、計算時間を考慮してHF/6-31Gdを指定しましたが、実験値は0.26debyeと大きく乖離しています。CCCBDDBで基底関数依存性を見てみましょう。

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HF法ではある程度大きな基底関数を必要とすることがわかります。他の化合物についても、興味がある方は色々と調べてみてください。Calculated data >Dipole momentsから調べることができます。

おわりに

今回は、電荷分布の偏りを表すベクトル量である双極子モーメントについて説明しました。GAMESSにおける双極子モーメントの出力先やオプション、電荷密度解析と同じように、基底関数依存性に注意し基底関数を選択する必要があることなどを述べました。GAMESSには、双極子モーメントの他に分極率を求めるオプションもありますので、今後さらに詳しく紹介していきます。

この記事で使用したOutputファイルを以下に置いておきます。
http://pc-chem-basics.blog.jp/cis-2-Buten(out).out
http://pc-chem-basics.blog.jp/trans-2-Buten(out).out

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