核磁気共鳴分光法(NMR)の化学シフトを予測するソフトは、様々なものが開発されています。前回GAMESS(US)を用いた遮蔽定数の計算方法を紹介しましたが、量子化学計算では相当の時間マシンパワーを要します。
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予測に求められる精度や、用途を考慮すると必ずしも量子化学計算で行う必要がない場面もあります。例えば、立体効果(環電流や自由回転など)や分子間、分子内での相互作用があまり影響しない系や、おおまかでいいのでピークの位置を知りたい場合などがそうでしょう。今回は、そんな量子化学計算と併せて使い分けたいNMRの化学シフトを高速で予測できるフリーソフトを紹介したいと思います。

NMRを予測できるフリーソフト

NMRの化学シフトを予測できるソフトの大半は商用ソフトです。量子化学計算以外の方法で化学シフトを予測する場合、その能力は参照するデータベースに大きく依存します。さらに、データベースから化学シフトを算出する際のアルゴリズムが各社違なるため、精度に差が出てきます。

現在、無料で使用できるNMRスペクトルのシュミレーションソフトとしては以下の2つが有力です。いずれもWebインターフェースなのでインターネットブラウザさえあればすぐに利用できます。

1) nmrdb.org
http://www.nmrdb.org
このNMR予測サービスは、スイス連邦工科大学ローザンヌ校の化学工学研究所Luc Patinyグループが提供しています。
ChemSpiderなど、他の化学系サイト経由でも利用が可能です。本家は少々、扱いづらいので他のサイトを経由した方が便利です。その中でも、cheminfo.orgというサイトを利用してみましょう。NMRの化学シフト予測以外にも様々な化学系ツールが利用できるのでおすすめします。
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使用方法はシンプルです。上図のようにメニューから1H Prediction(赤枠①)を選択し、左の描画画面に予測したい化合物を描いてSimulate spectrum(赤枠②)をクリックするだけです。結果の出力は一瞬ですが、初回アプリケーションを読み込むのに少々時間がかかります。

画面は、前回GAMESS(US)で計算した臭化アリルを計算しています。メチンプロトンが7.09ppmと実測値(6.02ppm)に比べ1ppmほど低磁場側にズレている以外は概ね一致しています。やはり平面構造式からですので、全てのプロトンで高い精度は望めませんが、結果の出力時間と無料で使えるのは魅力的ですね。



2) NMRShiftDBNMR

http://nmrshiftdb.nmr.uni-koeln.de
スペクトルのデータベースとしては産総研のSDBS(有機化合物のスペクトルデータベース)と並んで有名です。実は、スペクトルの参照の他にも予測の機能がついています。
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使用方法はnmrdb.orgと同様です。上図のようにメニューからPrediction(赤枠①)を選択し、描画画面に予測したい化合物を描いてPrediction spectrum(赤枠②)をクリックするだけです。
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ここでも、臭化アリルを計算してみましょう。今度はメチンプロトンがnmrdb.orgに比べ実測値に近いですが、反対側のオレフィン性プロトンが等価に評価されています。

3) その他のソフト
その他にはChemDoodleのWeb上でシュミレートしたデモ版や、NMR Prediction(free)あたりが無料で利用できます。
1H NMR Spectra PredictionのをiPad上で動かした様子が以下の動画です。


学術関係者であれば、Marvin SuiteのNMR予測機能を使うのも一つの手です。

商用ソフトの実力は?

これまで紹介してきた無料のNMR予測ソフトの他に、商用ソフトとしてよく利用されているのはChemDrawに付属されているNMRの予測機能ではないでしょうか。おまけ的な機能のわりに、意外と知られていないのがバージョンアップ毎に精度の改良が行われていることです。例えば、エタノールの水酸基プロトン(CDCl3)はver.12.0で3.55ppm, ver13.0で2.61と精度の向上が見られます。
ちなみに、ブログのトップ画像はChemBioDraw ver.14で計算したものですがノルボルネンのメチンプロトンも上手く実測値を再現できています。nmrdb.orgNMRShiftDBではこの様な高磁場シフトを予測できません。
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臭化アリルをChemNMRで予測した結果です。実測値と概ね一致していますね。
また、その他のNMR予測の商用ソフトででは平面構造式のみではなく、立体化学を規範的にコード化する手法を用いて予測精度を上げたり、量子化学計算よりも計算コストの低い分子動力学法を利用したりと様々な試みがなされています。

おわりに

今回はNMRの化学シフトをデータベース指向で予測できるフリーソフトを紹介しました。前回も述べましたが、求められる精度などをよく考えて量子化学計算とどちらを選択するか判断するとよいでしょう。
また、量子化学計算を行う際の参考値としても使えますよね。

余談ですが、実は量子化学計算パッツケージの中でもGAMESS(US)は、NMRの計算が特に遅いです。WebMOのデモ版GaussianなどのNMR計算を試してみてください。臭化アリル(HF/6-31G*)では、デモ版のCPU制限時間内(1分間)で計算することが可能です。Gaussian では、NMR遮蔽テンソルをCSGT(Continuous Set of Gauge Transformations)法で計算しているのとアルゴリズムの違いによって速度差が出ています(GIA法も選択できます)。無料で利用する場合、制約はありますがWebMOでGaussianを使うというのも一つの手かもしれません。

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