これまで行ってきた量子化学計算は、いずれも気相中の孤立系を対象としてきました。しかしながら、実際の化学反応は溶媒中で行われることが多く、実際の系に即した解析を行うためには溶媒効果を考慮した計算が必要です。問題は、溶媒の影響をどのように考慮するかです。
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数百万の溶媒分子を計算に含めると、計算コストの面から典型的な量子力学的手法を用いた実現は非常に困難です。そこで今回は、溶液中の化学反応などの自由エネルギー変化を効率よく計算する方法として、連続誘電体モデル(PCM)を紹介します。GAMESSでもPCM法が実装されているので、実際に計算してみましょう!!

PCMて何?

PCM(Polarizable Continuum Model)とは連続誘電体モデル(又は分極連続体モデル)の略称です。1981 年にTomasi らによって提案された方法です。溶媒効果を取り入れる方法はいくつかありますが、その中でもPCMは精度と計算時間との間の良好な妥協点を満たすので、最も広く使用される方法の1つと言えます。

原理は非常にシンプルです。溶液全体を比誘電率εの連続体と考え、適当な空孔(cavity)の中に溶質分子が置かれているとします。連続誘電体(溶媒)は溶質分子の電子状態に応じて分極するので、電子ハミルトニアンに周囲からの効果(溶媒和)を取り入れた新しい電子ハミルトニアンを求めることで解が得られます。
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つまり、溶媒が作る電場を溶質の電子ハミルトニアンに代入することによって溶媒効果を疑似的に再現している訳です。実際の計算では、空孔内の溶質の作る電場ρ(電子密度)によって、空孔表面の電荷による電場σが誘起される訳ですから、これらは依存関係にあり自己無撞着計算(self-consistent)で両者が辻褄が合うように繰返し計算を行います。

PCMには幾つかのバリエーションがあり、一般的には以下の2種類が良く用いられます。

DPCM:dielectric PCM法です。通常PCMと言えばこの方法で、(D)PCMやDを省略されたり明示されてない場合はこれを指します。連続体(溶媒)を分極可能な誘電体として扱うモデルです。
現VerのFireflyではDPCMがデフォルトですが、GAMESS(US)では以下のCPCMがデフォルトなっています。

CPCM:conductor-like PCM法です。連続体(溶媒)を導体として連続体を扱うモデルです。空孔面が導体状を前提としているため、極性の低い溶媒には一般的に推奨されません。

その他には、拡散した溶質の電荷分布に影響されにくいIEFPCM(integral equation formalism/積分方程式表式化)法などがあります。IEFPCMは現時点のGAMESS(US)では利用可能ですが、Firefly(PC GAMES)では利用できません。
GAMESS(US)Firefly(PC GAMES)では、PCMに対する考えかたが異なるのでデフォルト設定や細かい設定に関するキーワードが異なります。例えば、GAMESS(US)ではDPCM法は並列計算に対応してませんし、Firefly(PC GAMES)とではCPCMとDPCMのフラグ指定の方法が異なりますので注意が必要です。また、バージョンアップで仕様が変更することもあるので導入したバージョンに対応するマニュアルには一度目を通しておきましょう。

GAMESSで溶媒和自由エネルギーを計算してみよう

それでは、Firefly(PC GAMESS)を用いて水溶媒中のエタノールの溶媒和自由エネルギーを計算してみましょう。入力ファイルの作成は簡単です。$PCMグループを作り、キーワードSOLVNT=(溶媒名)を指定するだけです。

溶媒の種類としては下記17種類が格納されています。以下の溶媒名のキーワードは英名もしくは( )内の化学式で指定します。つまり、SOLVNT=WATERもSOLVNT=H2OでもOKです。

WATER (OR H2O)
METHANOL (OR CH3OH)
ETHANOL (OR C2H5OH)
CHLOROFORM (OR CHCL3)
METHYLENE CHLORIDE (OR CH2CL2)
1,2-DICHLOROETHANE (OR CH2CLCH2CL)
CARBON TETRACHLORIDE (OR CCL4)
BENZENE (OR C6H6)
TOLUENE (OR C6H5CH3)
CHLOROBENZENE (OR C6H5CL)
NITROMETHANE (OR CH3NO2)
N-EPTANE (OR C7H16)
CYCLOHEXANE (OR C6H12)
ANILINE (OR C6H5NH2)
ACETONE (OR CH3COCH3)
TETRAHYDROFURAN (OR THF)
DIMETHYLSULFOXIDE (OR DMSO)

例えば、今回のように水中でのエタノールの計算は$PCM SOLVNT=WATER $ENDで指定します。HF/6-31G(d)でエタノールの構造最適化計算の入力ファイルを作り、$PCMグループで先程の水(WATER)を指定して計算してみましょう。

結果は以下のように出力されます。「D-PCM CALCULATION」で検索すると最後の方に結果が見つかります。赤枠で囲った「TOTAL INTERACTION」が溶媒和自由エネルギーです。
エタノールの水溶媒和自由エネルギーの実験値は、-5.0kcal / molですので、計算で得られた-5.18kcal/molのPCM予測はなかなかよい一致を示しています。
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GAMESS(US)では、同じ場所に結果が出力されますがデフォルトではCPCMの結果です。Firefly(PC GAMESS)の場合は上記の様にD-PCMと明記があります。CPCM法を使いたい場合は、$PCMグループでPCMTYP=CPCMを指定すればOKです。

溶媒和自由エネルギーとは、溶質分子(ここではエタノール)が溶媒中(ここでは水)へ移行した時のギブスエネルギーの変化で定義されます。つまり、溶媒和自由エネルギーの大小は指定した溶媒への溶質の親和性の指標にもなります。


他の溶媒を指定したい場合は?

上記17種類以外の溶媒を用いて計算したい場合はどうしたらよいのでしょうか?基本的には、類似する溶媒があるのであれば、それを選択するのも一つの手です。例えばヘキサンであればヘプタンにするなどです。

どうしても類似の溶媒がない場合は、$PCMグループにSOLVNT=INPUTとキーワードオプションを追加し、以下の2つの物性値を指定します。すなわち、RSOLV=溶媒半径(Å)EPS=誘電率です。例えば、水の場合は以下のように$PCMグループを記述します。

$PCM SOLVNT=INPUT RSOLV=1.385 EPS=78.39 $END


溶媒半径と誘電率は特殊な溶媒でない限り文献で容易に見つけることができると思います。

PCM計算における注意点は?

Outputファイルからわかるように、溶媒和自由エネルギーは以下の3つの項の和として計算されます。

Gsol = Ges + Gdr + Gcav

Ges = 溶質と溶媒との静電的な相互作用に由来する自由エネルギー
Gdr = 溶質と溶媒間の分散力と交換反発に起因する自由エネルギー
Gcav = 溶質を収めるcavityを溶液内に構築する為に必要とされる自由エネルギー

PCM法は溶媒について連続誘電体と近似しているのでGes項以外は、経験的なパラメータに依存します。上式からも溶媒和自由エネルギーの値は指定するcavityの形状やその大きさに大きく依存することもわかると思います。つまり、cavityがあくまで仮想的であり任意性がるのでその値次第でエネルギー値が大きく変わります(デフォルトではvan der Waals球の1.2倍が指定されています)。また、当然のことながら指定した溶媒を構成する分子の形状や大きさなどが考慮されていませんし、水素結合のような特定分子間の相互作用は考慮できません。
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特に注意したいのが、溶媒それ自体が反応物として働く時も、もちろんPCMでその効果を取り入れることはできないことです。PCMはあくまでバルク溶媒の効果を疑似的に取り込むだけで、反応に溶媒が関与する場合は適切なモデルを自身で作成する必要があることを十分理解しておく必要があります。

おわりに

今回は、量子化学計算で溶媒効果を取り入れるPCM法について紹介しました。あくまで、溶媒を連続誘電体として近似しており誘電体の溶媒効果は、実際にはcavity 表面上の電荷によって疑似的に再現されていること、そのため溶媒自体が反応に関与する場合は、別途モデルに組み込む必要があることなどを述べました。

溶媒効果を取り入れる方法はPCM以外にも、様々な方法が開発されています。例えばGAMESSでは、QM/MM 法なども利用できます。この方法は、溶媒分子が直接的に関与する領域(第一溶媒和圏)と間接的に関与する領域(第二溶媒和圏)に分けてモデル化します。一部を古典的な力場に基づくモデルとし、モンテカルロ法や分子動力学法を用いて様々な溶媒分子の配置・配向を計算し、 それらが作る静電場を溶質分子の電子状態を決定する方法です。まずは、一番簡単なPCM法に慣れたら、色々と他の溶媒効果の計算を試してみると面白いでしょう。

この記事で使用した計算ファイルを以下に置いておきます。
http://pc-chem-basics.blog.jp/Ethanol(PCM-H2O).out


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