計算化学で構造最適化の次によく行われるのが「振動解析」です。何故なら振動解析は、化学反応を解析するために必要不可欠だからです。構造最適化計算が安定な構造を求めるのに対して、振動解析はその性質を特定する計算ともいえます。今回は、振動解析で得られる様々な情報の中からIRスペクトルを計算で求めてみましょう。
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振動解析で何がわかるの?

振動数計算を行うことで、主に以下の3つの情報が得られます。

 1) 計算で得られた構造が確かな安定構造か、又は遷移構造か
構造最適化計算では計算が終了したからと言って必ず自分の求めた安定構造であるとは限りません。例えば、ソフトが計算終了の閾値に達したために計算を止めてしまうこともあれば、求めようと思った安定構造とは違う局所的な安定構造が出力されることもあります。振動解析をおこなうことで、振動数がすべて実数であれば安定構造、虚数振動が一つあるときは遷移状態の構造であることが判断できます。

 2) 熱力学的諸量 (エンタルピー、エントロピー、Gibbs自由エネルギーetc.)
振動数計算をおこなうことでエンタルピーやエントロピー、ギブス自由エネルギーなど熱力学的諸量が得られます。これらを利用して、さらに反応速度や反応熱、平衡定数などの計算ができます。これで、反応が進行しやすい・しにくいなどを定量的に議論できるようになります。Outputファイルに出力される熱力学的諸量の見方はこちらを参照してください。

  3) IR(赤外吸収分光法)やラマンスペクトル
HF法(ハートリック・フォック法)やDFT法(密度汎関数理論)により得られる基準振動とその振動数は、赤外線やラマン分光装置で計測される値と直接比較することができます。量子化学計算で得られるIRスペクトルは、試料測定時のノイズを除いた振動に由来する純粋な吸収ピークを示し、化合物の同定や各物質間で強度の相対比較を行うことができます。

計算の準備をしよう

振動解析を行うことで、上記の3つの情報が一度に得られます。今回は、IRスペクトルをGUIソフトで表示させ、実測値との比較を行ってみましょう。計算にはFirefly(PC GAMESS)を用います。振動数計算は構造最適化計算と異なり計算負荷が大きいので気長に待つ必要があります。それでは早速、計算に必要な入力ファイルを作成しましょう。

1) 今回は、アセトフェノンを計算してみましょう。MolView又は他の分子モデリングソフトでアセトフェノンのMOLファイル(拡張子.mol)を作成してください。
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2) 保存したMOLファイルに分かりやすいようにAcetophenonと名前を付けて、MoCalc2012に読み込みます。計算条件はHF/6-31G(d)(理論/基底)に指定してください。赤枠①『Method』の部分を「6-31G*」に変えるだけでOKです。
(一応「Job Type」が「Geometry Optimaization(構造最適化)」になっていることを確認してください。振動数を計算するには、まず対象とする化合物の安定構造を得るために構造最適化計算が必要です。)

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3) 次に「More Keyworda」の所に「HSSEND=.TRUE.」と打ち込んでください(赤枠②)。このキーワードを付け加えることで、構造最適化計算後に振動計算を連続実行することができます。

※別の方法として、「HSSEND=.TRUE.」を付けずに構造最適化計算を行った後、「Job Type」の「Vibrational Frequencies」や「IR Spectrume」で計算する方法もあります(計算内容は同じです)。構造最適化の計算を確認してから、振動数計算を実行したいときなどに使います。構造最適化がきちんと行われず連続で振動計算を実行すると、時間のムダになってしまうことがあるので、この操作は覚えておくとよいでしょう。
 

計算を実行しよう

「Run Firefly!」ボタンを押して、計算を実行します。最近のパソコンであれば、30分程度で計算は終了すると思います。

※ 計算速度が遅いと感じた方は、MWORDSを増やしてみてください。キーワードのMWORDSは計算に使用するメモリ量を指定します。先の画面では、「MWORDS=250」に設定してます(Keywords欄)。数字を大きくすれば計算速度が上がります。単位はMW(メガワード)で、1MW=8MBです。

指定メモリ数を大きくし過ぎると、ステータス表示に「EXECUTION OF FIREFLY TERMINATED ABNORMALLY~」と表示され、アウトプットファイルには「◯◯◯◯ WORDS OF MEMORY UNAVAILABLE」とメモリ不足のエラーが出力されます。その際は、MWORDSを下げてみてください。また、他のアプリケーションを同時に使用するとPCの動作が重くなるので、それらも考慮してメモリー量を設定してみてください。 

 

計算結果を確認しよう

1) ステータス表示が「GAMESS/Firefly-calculation successfully terminated. Have fun! 」になったら計算終了です。Resultsボタンの赤枠①「IR Spectrume」を押すと計算で得られたIRスペクトルが表示されます。
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2) 赤枠②のFileから「Import Reference Spectrume」を選ぶと実測値との比較が行えます。Chemspider, NIST, SDBSにデータが存在する化合物であれば比較ができます。また、「Add Reference Spectrume」から自分で測定したスペクトルデータも読み込むことが可能です。その際、拡張子は.jdx、.dx、jcm(JCAMP-DXファイル形式)である必要があります(大半のIR測定装置に対応してると思います)。また、一応画像でも追加できるようになってます。今回はNISTを選んで、アセトフェノンのCAS番号「98-86-2」を入力して「Start」を押してください。

3) 赤色でNISTのアセトフェノンのIRスペクトルデータが表示されます。赤枠の「Scale Freqs」にチェックマークを入れると計算で得られたスペクトルのスケールファクター※が適応されます。
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4) スペクトルを比較すると2000cm-1付近のC=O伸縮のスペクトルが高波数側に過大評価されているのがわかります。完全一致とはいきませんが、実測のスペクトルの帰属には使える結果が得られたと思います。
時間がある方はB3LYP/6-31G*で計算して結果を比較してみても面白いでしょう。

※ちなみにどのスペクトルのピークが、どの官能基の振動モードに対応しているかを確認するには、IR SpectrumウインドウのツールバーからVibrations >Interactive correlation of animated vibrations bandsを選択します。Webブラウザが起動し以下のような画面が表示されるので、確認したいピークを選択すれば、対応する振動モードのアニメーションが表示されます。
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スケールファクターについて知ろう

先程、スケールファクターという言葉が出てきました。ちなみに量子化学計算では、調和振動数を計算しています。実験のスペクトルと直接比較できる基本振動数を計算で得るには非調和性というものを考慮する必要があるんですが、計算負荷がかなり大きくなります。そこで近似(調和近似)を用います。一般的にこの近似による誤差が3~5%程度と言われているため、これに対する補正としてスケールファクターを用います。
スケールファクターは、計算に使用した理論(計算手法)/基底関数で値が異なります。例えば、今回使用したHF/6-31G*のスケールファクターは「0.8985」が使用されてます。MoCalc2012では以下の文献のスケール因子を採用しています。
A.P. Scott, L.Radom, J. Phys. Chem., 100, 16502 (1996). DOI: 10.1021/jp960976r


参考にいくつかの理論/基底関数に対するスケールファクターを示します。
ちなみに、MoCalc2012フォルダ内のParamsフォルダ中にある、”FreqScalingParams.txt" に値を追加することで設定にないスケールファクターを追加することも可能です。
HF/3-21G:0.9056, HF/6-311G**:0.9085, B3LYP/6-31G*:0.9603
CCCBDBでもスケールファクターを確認できます。以下のURLにアクセスしてください。
http://cccbdb.nist.gov/vibscalejust.asp


MacでIR計算を行いたい時の対処法

MoCalc2012はWindows環境でしか実行できません。しかし、他のソフトを利用すればMacでも同様にIRスペクトルを表示させることが可能です。
例えばMacの場合、AvogadroMacMolPltなどでInputファイルを作成し、Mac版のFireflyで計算します。結果(Outputファイル)の可視化は、GaussSumを使うとこんな感じで表示できます。ただし、どの振動モードがどのスペクトルに対応しているかはアニメーションで表示することはできません。また、GaussSumをMacで使う場合は、別途Wineなどの導入が必要になります。
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どうしても、振動モードのアニメーションを表示させたい場合は、WebMOのデモ版を使用する手があります。これを利用すると、以下のようなスペクト表示と振動モードのアニメーションが表示できます。
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WebMOはWebブラウザがあれば良いので、新たにソフトを導入する手間はありません。詳しい使い方は各ソフトの関連記事を参照してみてください。また、この方法はWindowsでも利用できるので是非活用してみてください。

おわりに

今回、IRスペクトルの計算を例に振動数計算の方法を説明しました。実験のIRスペクトルと比較するためにはスケールファクターが必要なこと、そのためには理論/基底関数に適したスケールファクターの選択が必要であることを述べました。
先に述べたように振動数計算からは、他にも非常に有用な情報が得られます。重要な計算ですので、今後詳しく説明していきます。

この記事で使用したOutputファイルを以下に置いておきます。
Output: http://pc-chem-basics.blog.jp/AcetophenonIR(out).out


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